聖歌、の心と技、というお話を聞いて、思い出したことがあった。
ていうか、予告なんだけど長くなると思うよ。
これ、自分のHPのエッセイにアップしようとおもってたネタだから。

私が、グレゴリオ聖歌に会ったのは大学入ってまもなく。
最初は、その旋律の面白さに惹かれてのこと。
しかし、旋律の美しさならパレストリーナとか、
モンテヴェルディとかいくらでもあるわけですよ。
ポリフォニーのほうが音に厚みもでるし。
だけど、グレゴリアンは私の魂をゆさぶる音楽だったわけで。
Kに出入りするようになって、初めて師匠とお話したとき。
―聖歌は、歌じゃないのよ―
まず、師匠がそうおっしゃった。
じゃ、なんで聖歌なんだい?(心のつぶやき)
グレゴリアンにしても、それから派生した中ルネも
ミサ曲も元は聖書の言葉。
最初はいわゆる聖書朗読だったそうな。
それに節がついて、はいグレゴリアンの誕生。
グレゴリオ聖歌の四線譜とその元になったネウマは
一見タダの楽譜に見えるんだけど、あれ不思議
重要な言葉にはちゃんと、もりあがるフレーズや
強調するように詠唱を指示するネウマがあるのです。
それは、実際にやってみると歌と言うより
言葉をとてもとても大切にしてることが読み取れる。

聖書は神の言葉。

日本にも、「言霊」という言葉があります。
50のいろは一つ一つに、精霊が宿るという信仰。
かつては、日本人も美しい言葉を大切にしていました。
「あめつちをも動かす」言霊の力。
私は、聖歌について師匠と話しているとき
「言霊」この言葉を思い出して。
師匠も聖歌を「まさに、それと全く同じ精神」
で学び取りなさい、と言ってくれた。
だから、歌い方の良し悪しは全く関係ないと。
一番肝心なのは、その聖歌―祈り、へのこころ。
音も「信仰がなければ、ただのやかましい鳴り物」
聖書の言葉。
手段のために目的を見失ってはいけない。
そうこころに言い聞かせて。
せっかく、同じ、言葉にたましいの宿る国に
生まれたのだから。

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